また流産(2018年2月)
3回目の人工授精後、年明けに妊娠が判明。
6週目に確認できた心拍が、7週目には確認できず、8週目になっても変化ないため、また流産が決定・・・
心拍がないと言われてもつわりの症状はあるし、自分は何も感じないので、2週間ほどお腹においていたが、だんだん出血してきた。
前回はこの出血が多量になり、鮮血に変わったらすぐに血の塊が出てきて流産とわかったので、これはもう手術した方がよいと思い、手術を予約。
当日は9時ごろクリニックへ。
内診を受けてから病室に案内され、手術用のワンピースみたいなパジャマに着替えてブドウ糖の点滴開始。静脈麻酔のルートを確保するためだそう。
私は血管がすごく出にくくて、健康診断の採血にも苦労する人。去年の健診では4回も刺し直されたっけ・・・点滴用の注射もぐいぐい刺し込まれ、痛い痛い・・・
11時半くらいにシャワーキャップみたいな帽子にマスクをつけて、オペ室へ徒歩移動。
ここでびっくり。本当にオペ室だ!!あのライトがあって、心電図やら血圧やらのスクリーンが音をたてている、テレビで見たことあるこの景色!!
げ、私本当に手術するんだ。「手術」。もうちょっと軽いものを想像してた、私・・・
無機質な感じのベッドに寝ると、同じくシャワーキャップにマスク姿の看護師3人がおり、右腕には血圧計、左腕には指先に脈拍計をつけられ固定される。心電図を測るため胸にシールをペタペタと貼られる。そして麻酔が効きやすくなる注射だが痛くて、1週間くらい痛みが続くかもしれないという説明を受けて、プスっと注射を打たれる。本当に痛い!!「いたい!」「くーっ」と声が出るほど。
手術着の医師が登場すると、私の両足まで固定される。
手足がすべて動かない状態。「私の尊厳ってなんだ!?」と言いたいくらいの態勢に憤るがもうどうしようもなく、「麻酔始めますよ」みたいな一言。こういう時ももうちょっと医師が状況を説明してほしいよなと思う。
静脈注射されるとともに、酸素マスクみたいなアレ(よくテレビで見るやつ)を口に当てられて、看護師から「一緒に数を数えてください、いーち、にーぃ」と言われたが、10数えても何もない。「ん?効いてんのか?」と思っていたら12くらいからグワーっと身体がつかまれるような感じがして、13か14まで数えてから意識がなくなった・・・
看護師たちが「せーの」と言って、私をストレッチャーからベッドに降ろすところで麻酔から覚めた。まだぼーっとしていて、まわりに星が舞っているような感じ。直前まで何か夢を見ていたけれど思い出せない・・・
気づいたらお腹が痛い。とにかく痛い!!
去っていく看護師に「お腹痛いです・・・」と言ったけど「痛み残っていますか」と言って行ってしまった。
こんなもんなのかなとしばらく耐えていたけど、やっぱ無理。胎児のポーズみたいになって、お腹をさすりながら体をゴロゴロとゆすってみるがとにかく痛い。内部をかき回されたような(そういう手術だったんだけど)。「七転八倒」とはこういうことか!「のたうち回る」ってこんなことか!?と身をもって考える。
耐え切れずナースコール。
看護師が来ても「オナカイタイ」しか言えず、その他言葉にならない。ウーとかイタイしか言えない。これは絶対ブログに書くぞとか、今開催中のオリンピック選手があんなに頑張っているんだから私も頑張るとか、頭の中ではいろんなことを一気に考えている。人間って不思議だ。
「先生に指示聞いてきますね」と看護師が去った後がずいぶん長く感じたが、座薬を入れてくれて、わりとすぐに効いてきた。そのまま少し眠ってしまったようだ。
3回目の人工授精(2017年12月)
流産して2か月後くらいに生理らしい生理がやってきた。
仕事の忙しい時期も過ぎたので、もう一度やってみようかなと思い、3度目の人工授精。
当日朝精液を採取しないとけないが、ちょうどパートナーが早めに出勤する日。
ちょっとイヤな顔をしながら容器をくれた。
気合を入れるため、ここ数か月ハマっている「唐辛子焼酎」を紅茶に入れて飲む。
近所の洋食屋さんで「チリトマトサワー」として提供されている辛いお酒がすごくおいしくて、作り方を聞いたところ、焼酎に乾燥唐辛子、黒コショウ粒とクローブを入れて数日おくとのこと。
すごく辛いけど、体が温まる!
唐辛子焼酎をトマトジュースと炭酸で割るのが定番だが、紅茶やミルクティーに入れてもスパイシーでとてもいい。
冷え気味の私なので、血の巡りが良くなるんじゃないかと思う。
お酒好きな妊活中の方は、ぜひ!!
流産から1か月半(2017年9月)
流産から2週間ほどはなかなか体がもとに戻らない感じで、毎日しんどかった。
3週間経った頃から、けっこう元気になってきた。
ほんの7週の妊娠だったけど、ずーっと高体温で、めまいもして、とにかく体調が悪かった。
流産前後は痛くて痛くてつらかった。
こんなに元気に動ける時がくるなんて!!
今つらい人には「大丈夫だよ」と言ってあげたい気分。
流産後に診察を受けた医師からは
「4週間くらいで生理が来ますから、連絡してね」
とのことだったけれど、3週間後に茶色いおりものが数日間出た。
これが生理??それにしても色が違うし、なんだかぼんやりしてる・・・
そうしたらさらに2週間後にまた茶色いおりものが数日間。
いったいどれが生理なのかわからず、基礎体温も低い日が続き、次の受診のタイミングも決められずにいる。
じゃあ、この間にこれまで受けられなかった健康診断を受けてしまおう!
ということで区の子宮頸がん検診、乳がん触診とマンモグラフィを立て続けに受けて、ついでに職場の補助がある人間ドックも予約。
妊娠の可能性を考えたら受けるのを躊躇していたが、今は可能性がゼロなんだから、全部受けてしまえ。
妊娠中にパートナーとすごく悩みながら予約した、ちょっと遅めの夏休みも、お腹のことなんて気にせずに、八丈島で山も海も満喫。
とても元気に動き回れた。
自分自身が元気でいることがいちばん、そしてパートナーとも仲良くいられることがいちばん。
子どものことは、あまり思いつめすぎず。ぼちぼちやろう。
流産ってこんなにしんどいのか(2017年8月)
考えてみると流産の話ってあまり聞いたことがない。
うちの母は何度も流産した経験があるが、実際に何が起きるのか詳細に聞いたことはなかった。
自分が直面してみると、別に恥ずかしいことでもなんでもないけど、たしかに積極的に言いたいことでもない。
フェイスブックで「今日、流産しました」みたいな投稿って見たことないもんね。
誰かに話したい気持ちはあるので、フェイスブックでやってみようかと思ったけれど、投稿を見た人の方が反応に困るよなーと考えてやめてた。
流産から3~4日はとにかく出血がひどかった。
私の場合、生理は軽いので、ナプキンはもう20年以上したことはなく、いつもタンポンのみ。よく「経血量が多くてタンポンをしてさらにナプキンをあてている」って人もいるが、私はナプキン大っ嫌い。密着感でかゆくなるし、経血がジョボっと出る感覚も嫌。そんなわけでずーっとタンポンを愛用している。
でも今回ばかりは、血の塊がたくさん出てくるので、タンポンだと衛生的に良くないと医者に言われ、仕方なくナプキンを使用。20数年ぶりに購入する。
出るわ出るわ、生理2日目なんて比じゃなく、よくこんなに出るなと言うくらい出血が止まらなかった。
血の塊を触ってみるとけっこう弾力がある。しかも子宮から直接流れてくるせいか、すごく血の匂いがする。さびの匂いというか。
就寝時に下着に漏れるようなことはなかったが、粘着性があるのか、トイレに行く度にドバっと漏れてくるような感じ。かなりエンドレスに思えてくる。
お腹も定期的にチクチク痛む。
5日目以降も軽く出血はするが、ようやく落ち着いてくる。
腹痛もなくなる。ナプキンははずして、おりものシートでもOK。
細かい血の塊はまだ出てくるので注意。
ビールも夜に1本だけ解禁した。
私は流産あたりからちょうど職場の休みや週末が重なり、ゆっくり休むことができたが、普通に働いていたらこれはかなりしんどい。仕事どころじゃない。
でも私のように妊娠も職場に伝えないうちに流産してしまうと、言うタイミングすらない。
ただまだ体が本調子じゃないな~という感覚はずっとあって、こんな小さな内臓のことなのに、こんなにつらいのかと思う。
漢方の世界では出産は「大きなお産」、流産は「小さなお産」と言われているとか。
けっこう心身へのダメージ大きい。
基礎体温は正直で、流産したらすごい勢いで体温が下がる。
妊娠中は36度7分くらい、胎嚢が育ってないと疑われ始めてからは36度5分~6分、流産後は一気に36度1分、体って面白い。
でもこんな思いはもうしたくない・・・
大高医院へ(2017年8月)
流産手術の当日も出血が続いていた。
お腹の強い痛みはひいていたが、やっぱり少し痛い。
臼井医院の紹介で大高医院を訪ねる。
パートナーも一緒に来てくれた。
なんとここも夏季休業中。朝早くから対応してくれてありがたい。
臼井医院から連絡はいっているが、再度経緯を話して、診察台へ。
「あ、胎嚢出てますね。」
もう流産してしまっていたのだ。
「ちょっと中見て引っ張りますね」
と言っていたけれど、結局子宮の入り口付近に残っている血の塊を少し取っただけで、手術は「なし」といういうことに。
あの痛みが流産だったのか・・・
1週間くらい出血は続くと思うが、来週臼井医院に行ってくれたらよし。
ただ、緊急事態があればいつでも連絡してくださいとのこと。
なんだか拍子抜け。でも、よかった。
帰宅して安静にする。
しかし、ここの院長(男性)、一見ソフトだが患者の確認や質問が気に入らないらしい。
私は自分がしっかり納得したいので、どこに行ってもけっこう質問するタイプ。
「(胎嚢はなかったけど子宮口につまっていたものを取ったという趣旨の説明をされたので)
何がとれたのですか?」
と素朴な質問をしたら
「あなたさー、だから人の話をよく聞いてよ!」
とプチ切れ。
「いえ、理解しています」
と返事したけど、おい、ずいぶんえらそうだな。
私にとっては初めての事態なんですけど。
私は診察台の形が嫌いだが、これは診察の内容上仕方ないとしても、自分と施術者を隔てるカーテンが大嫌い。
自分の体なのに、何されてるか見えないっておかしくない??
私、なんにも恥ずかしくないので、医師と直接会話したい。
だから婦人科では「カーテン開けてください」とお願いしている。
ここでもカーテンを開けておいてほしいと言いたかったのだが、はじめから閉められていたので、自分で開けようとしたら
「見なくていいから!」
とまたプチ切れ。
私:「いや、何されているか見たいんです」
医師:「見えないから!」
いやいや、そりゃ、自分の性器をこの位置から見ることはできないのはわかってるって。
医師とか看護師に何されてるか、あなたたちの動きを見たいし、直接話したいの。
この診察室の問題、女性はこれでいいと思っているんだろうか??
密室だけに、こんなもんだと思い込んでいる人、多いんじゃないだろうか。
私がイギリスにいたころ、子宮頸がん検診を定期的に受けていたが、こんな診察台ではなかったし、普通のベッドを使って、医師は私の近くでお話しながら内診してくれた。
産婦人科は女性の体の問題を扱うのに、男性医師が圧倒的に多いっていうのもあまり嬉しくないが、日本では患者の扱いが屈辱的だといつも思っている。
今回は休みのところ対応してくれたことには感謝、でももう行くことないだろう、大高医院。
この点、臼井医院の院長は私の質問にきちんと答えてくれるのでいい対応だなと思う。心の中ではめんどくせー患者だ、と思っているかもしれないけど。
こんな経緯で、私の妊娠は8週で終わってしまった。
「また頑張ろうね」とパートナーが言ってくれた。
流産の兆し(2017年8月)
お休みにもかかわらず院長が診察してくれた。
エコーを見ると、まだ胎嚢は子宮内にあった。
「胎嚢が子宮口あたりまで下がっているから、手術した方がいいね。
明日、大高医院に行ってもらえる?紹介状書きますから。」
「自然にしておいても出るんでしょうか」
「そうだねー。でももっと痛いと思うよ」
「え、痛みがさらに強くなる可能性があるってことですか?」
今朝ですらけっこうお腹がいたかったのに、もっと痛くなるのか。
手術を選ぶと全身麻酔をして胎嚢を引っ張り出す。
どちらにしても、痛い。痛いのは、やだ。でも・・・
「先生が行った方がいいと言うのなら、行きます」
と答えて紹介状をもらう。
今日は看護師さんも会計の人もいないので、先生ワンオペで、支払いもできず。
パートナーが
「次もチャレンジする場合気をつけることはありますか」
と聞いてくれた。
「手術したら、次の生理後、1周期はお休みね。
でも妊娠できるってことは証明されたから」
との回答。
そうね、日暮里レディースクリニックで「体外受精しかない」って言われたのに、人工授精で妊娠できたんだから、それは自信を持っていいかもしれない。
帰宅後、彼が夕食の準備をしてくれて、私は横になっていると、今朝よりもっと強い腹痛がやってきた。
トイレに行くと鮮血が止まらない!
寝ていても痛いし、座っても痛いし、トイレに行くにも腰をかがめて歩かないといけないくらい痛い。
よくもこんなに出るなというくらい真っ赤な血が出る。生理2日目の比じゃない。
9時すぎにようやく落ち着いて、シャワーを浴びて寝るが、夜中の2時半に目覚めたら今度は眠れなくなってしまった。翌日手術だというのに・・・
突然、血の塊が出てきた(2017年8月)
前回受診してから4日後の朝、トイレに行ったら突然ドロっとした血の塊が出てきて驚いた。前夜からお腹が痛くて思い感じだった。
うわっ、これが流産?どうしよう。
臼井医院はその日から夏休み。職場に着いてから緊急用の携帯に電話した。
「流産したみたいなんです」
と事情を説明。臼井医院側も電話をかけてきそうな人リストに入れていたようで、すぐに理解してくれて、院長に確認してコールバックします、とのこと。
5分ほどで電話をもらい
「今日の4時くらいなら開けられるから、来てください。
ご家族は来られないですか?」
え!今日から休みなのに診察してくれるの!?
職場には急用ができたと説明し、4時に間に合うよう早退することに。
私の職場はそのへんかなり自由なのでありがたい。
無理だろうと思いつつ、パートナーにラインし、家族も来れないかと聞かれていることを伝える。
ちょうどこの頃、彼とケンカ中で、しばらくろくに口も聞いていなかったし、もう続けられないかもと思っていたくらいだった。
来るはずないと思っていたので、そのままスマホをかばんにしまって、夕方職場を出たら、なんと、彼は仕事の都合をつけて臼井医院の最寄り駅に向かってくれていた。
こんな気持ちが残っていたのかと、涙が出そう。